中世、山口を中心として広く地域を治めた大内氏は、1360年頃、大内村からいまの大殿地区内に本拠を移したといわれます。京都風の名がつけられた町を舞台に、当時日本で有数の大都市として繁栄しました。
 大内氏滅亡後、町の活気は衰えましたが、江戸時代末、長州藩主毛利敬親は萩からこの大殿地区内に藩庁を移しました。明治以後、県都の中核地域として発展しました。
 文化財や伝統行事が数多く残る大殿地区でも、その町並みは変化しつづけています。

県   会 0:52
国   体 1:01
農   業 1:18
たぇがたぇー 1:01