◆講演会「維新期山口藩の藩札・藩債償還をめぐって〜井上馨の役割他〜」
平成29年3月4日(土)午後6時半より、大広間で、講演会「維新期山口藩の藩札・藩債償還をめぐって〜井上馨の役割他〜」を開催しました。 53名の参加者がありました。
講師は田中誠二氏(毛利博物館館長)です。
明治維新といえば幕末までの変動をよくとりあげられますが、本当の大変革は明治初めに起こったと話され、とくに金融制度は大胆な改革がすすめられたということで、そのお話しでした。
とくに長州藩は莫大な戦費の支出がのしかかっており、それを井上馨があの手この手で精算しました。
こういう経済史を研究されている方は少なく、貴重な講演でした。
※講演の話からいくつか
1. 攘夷戦争などで活躍した蒸気軍艦癸亥丸・壬戌丸は横浜で英国より計6〜7万両で購入したが、そのお金は江戸の長州藩邸に貯めていた隠し金だった。のち禁門の変後に隠し金は幕府に没収されたがそのときは1万両しか残っていなかった。使っていてよかったとおもったかも。
2. 奇兵隊が明治元年北越戦争へ出兵したさいは経費として2万両を朝廷から渡された。戦争にはお金がかかった。
3. 明治2年は大凶作で、さらに財政を圧迫した。
4. 明治3年、長州藩は1千5百人の兵士の1年間の食料月給衣服代は約12万8千両もかかると算出し、朝廷に報告した。
5. 長州藩は江戸時代に三回藩札を大増刷した。一回目のときは交換のための準備金(藩札という紙きれの価値を裏付ける本物の金)を用意しなかったので藩札の価値はかなり下がり、大失敗だった。次からはその経験を活かして準備金を用意したので価値はあまり下がらなかった。
明治初年の新政府の金融財政を担当した由利公正(福井藩士)は紙幣をどんどん刷ればいいという姿勢だったが、そのあと金融財政を担った井上馨は藩の大失敗を知っていたので、準備金の裏付けのない量の紙幣は刷りたがらず緊縮財政が基本姿勢だった。
6. 明治5年、新政府は各藩の借金を整理する時、幕府が天保14年(1483)に出した棄捐令を根拠に、天保14年以前の借金を帳消しとした。長州藩の場合、これで借金の6割近くが帳消しになった。このアイデアは井上馨の発案による。