
◆山口と七卿落(しちきょうおち)展
◎平成24年4月26日(木)から6月15日(金)まで、大広間展示室において、明治維新版お宝展参加企画「山口と七卿落展」を開催します。
三条実美は文久3年(1863)に政変により京都を追放され山口へ下向し、湯田温泉の何遠亭(井上馨生家離れ屋)に滞在しました。
今春、何遠亭跡の高田公園が名称を変え、井上公園になりました。
菜香亭は、井上馨が名付け親であり、井上馨・三条実美の扁額もあり、深い関わりがあることから、このたびの公園名称変更を期に、七卿落を顕彰する「山口と七卿落展」を開催します。
展示室には、料亭菜香亭が所有していた、七卿落の一人東久世通禧卿と、七卿の衛士として活躍した土方久元、井上公園で生れた井上馨の書を展示しています。
また湯田温泉・山口・防府(前期のみ・後期は下関等)の地図と、その地での七卿の足跡を写真パネルで紹介しています。
桜・藤・滝見物、登山にウサギ狩り、鯉狩りもしと、山口で風流に過ごしているお公家様の様子が分かります。歴史散策の参考にぜひ知ってください。 古跡に新たな魅力を感じると思います。
井上公園にある関連史跡は全て紹介しています。
あらためて井上公園の歴史性を知っていただければと思います。

また、三条公や東久世卿が使用した箸(山口市小郡文化資料館)を展示しています。
他には、戦前の井上公園の写真6点(山口市歴史民俗資料館所蔵)や戦前の七卿落の本10冊(山口県立山口図書館)を展示しています。
※七卿落とは
幕末の文久3年(1863)は長州藩を主とした攘夷運動が最高潮に達していました。 攘夷派は、天皇が攘夷に出陣するよう仕向けるためにまず大和行幸を画策しました。これに危機感を抱いた薩摩・会津両藩を中心とした公武合体派は、長州藩ら攘夷派を朝廷から閉めだす一掃計画を立て、8月18日に実行します。これによって長州藩と、同調していた7人の公家は、京都から追放されたのです。これが世に言う「八・一八政変」です。 一旦引いて態勢を立て直すため、三条実美・三条西季知・東久世通禧・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳・沢宜嘉の7卿と長州藩兵以下2000人は、洛東の妙法院から兵庫に向かい、そこからは総勢400人が20隻の船に別れて三田尻港(現山口県防府市)を目指しました。 これがいわゆる「七卿落」です。
七卿は防府に来て、のち山口に移りました。また長府に移り、慶応元年(1865)1月、さらに筑前は太宰府におもむきました。長州藩にとどまること、およそ1年半。この間、沢卿が去り、錦小路卿が逝くなりました。
慶応3年(1867)12月、王政復古の大号令の前夜、朝議にて赦免され、官位や諱が復されると、それぞれ明治政府の要職に就きました。