分類:書幅
時代:江戸後期
鈴木重胤は文化9年(1812)淡路生まれの国学者。平田篤胤の没後の門下生。諸国に赴き学説を説いた。文久3年(1863)江戸で暗殺された。著書に『延喜式祝詞講義』など。林勇蔵や赤間関の豪商志士・白石正一郎もその門下。
1.和歌
鈴木重胤が仁保津の大庄屋林勇蔵のために詠んだもの。
林勇蔵は文化10年(1813)矢原に生まれ、上郷村仁保津(小郡仁保津)の豪農・林家の養子となる。小郡宰判大庄屋などを歴任し、地域の指導者として産業奨励、椹野川の治水事業などに尽力した。明治32年(1899)没。
2.長歌
「仁保津村地図讃」
和歌との関連で文久2年(1862)に仁保津墾田を訪ねた鈴木重胤が、仁保津村の地図(椎ノ木随道)を見て、讃意を表した長歌。
嘉永4年(1851)林勇蔵は、椹野川の氾濫によって失われた田畑の代わりとして、椎木峠に洞渠を開いて新田を開発することを計画。鉱山採掘の坑夫を雇い入れ、7年間かけて大小の穿抜(トンネル)計約60間(約108m)、水田開発10町4反7分(約10.4ha)を完成させた。「椎ノ木峠トンネル」は市指定史跡。